11年前。
まだ僕は表現活動を外的に行なっていた訳ではなかった。大学四年生だった。
その時、僕は就職活動を終えたばかりで、その先の人生に大いなる不安を持っていた。
就職先は工場。週休2日ではなくて休みは1日。そして、僕はこの時、表現活動についてまだ数えられる程度しかやっていなかったけれど、これを本当に生業にする為には、恐ろしいほどに険しい人生を送らなければならない、という事実に気付いていた。
正直言って、そんな思いをしてまで、表現活動で身を立てる事を目標に生きていたくない。
だから、僕はこの時、最後の賭けに出た。
ずっと学校で好きだった女の子を、休みの日に呼び出したのだ。
「今なら、まだあちら側に滑り込めるかもしれない」
僕が考えていたのは、そういう事だった。
このまま、工場に就職してしまえば、三流四年文系大学卒業工場勤務の未来が見えない男として生きる事になる。
だけど、このタイミングでもしも、可愛い彼女が出来れば、
ギリギリ、本当にギリギリ、僕は平穏な人生のグループに入れるかもしれない。
綱渡りの人生ではなく、同窓会に行く事が出来ない人生ではなく、
まだ、ここであの子が僕の彼女になってくれれば!!
そして、あの子は僕のところまで歩いてきた。
場所を探そうと僕は言ったけど、「ここにしよう」と、僕らのすぐ隣ににあった喫茶店を指差した。
君は「○○くんって彼女はいるの?」と、最初に僕に聞いてきた。
「いないよ、なんで?」そう僕が答えると
「え、だって、普通2人で異性の人と会うのって、恋人だったら嫌がるでしょ?私はちゃんと彼氏に言ってきたし」と言った。
君は色んな話をしてくれたけれど、
自分の話だけだったと思う。
僕は「あの時、授業で僕が借りたビデオ、ずっと先生に返さなかったせいで見られなかったよね、ごめんね」と言ったり「うそ?○○くんがあれ借りてたの?私、あれ見たくていつも先生に聞いてたんだよ」と怒ったり、
「学校の詩のコンテストで君が書いた詩、好きでずっと読んでいるよ」と僕が言ったら「よく見つけたね。あれ、本当に若い頃だった。まだこっちに来る前だったかな」と言っていて。
これを書いていると、11年前なのに、昨日あった事みたいに思い出せるんだ。
「○○くんはどうして、私を今日ここに呼んだの?」
君は僕に聞いてきた。
僕は、なんでもあっけらかんに話す君の性格をこの1時間でよく理解できたけれど、
こういう事をしっかり言ってくれる人って、本当にどれぐらい世の中にいるんだろう、と思ったりもした。
僕は散々、色んな遠回りをして、君にこう伝えれば良かったんだ、という思いを伝えようとした。
だけど、本当にそれは告白とは言えないぐらい、ただただ、訳の分からない、「好きだと思っていて」という言葉だった。
「えっと、○○くんの事よく知らないんだけれど...私と○○くんが付き合う事って、まず無いと思うよ」
君は当たり前の事を言った。
それから、君は、今の彼氏がどんな人なのかを語り出した。
高校生の時から映画をずっと部屋の中で引きこもって見ていた事。今はアルバイトで映像制作の会社に入って働いている事。その中で「死にたい」と彼女にある夜、打ち明けた事。2人で朝の目覚めを経験した事。
「もう行くね」君は席を立った。
2時間で、僕の君との時間は終わった。
駅の構内を歩いている時に、僕はぽつりと、「どうすれば良かったんだろう」と言ったと思う。
その子は「何が?」と言った。
僕は答えられない。
そして、「負けちゃったよ、本当に」と僕は言った。
君は「何に負けたの?」と言った。
「あ、電車来たね。じゃあ、また」
君は改札に吸い寄せられていくように遠ざかった。
そして、駅の階段を降りて行き、見えなくなった。
僕は、あちら側に行けなかった。