「pellicule」という曲が大好きだ。
歌っているのは、24才でこの世を去った若者。
誰の胸にも突き刺さる歌かは分からない。
だけど、
少なくとも、この31才の表現活動を諦めない婚活中年には突き刺さっている。
誰にだって可能性はある、
だけど、ある時期に辿り着いた時に「もう自分が終わっているのかもしれない」という確信をふと抱いてしまう瞬間がくる。
「待ってた、いつまでも待ってた」という言葉のリフレインは、後悔なのか、それとも捨て去ることが出来ない希望なのか。
彼にはいつまでも「待ってた」ものがあって、
それを手に入れようと必死でもがいていたんだと思う。
文字通り、命懸けで。
俺は今年もセックスを3回だけした以外は、結局、彼女を作ることは出来なかった。
今までの人生の悲惨さを思えば、自分と3回も体を重ねてくれた女性がいるというだけで、もう満足するべきだし、救われているべきなのかもしれないけれど、
本当に人生を変えたいと思っている俺には、
それをゴールには決して出来ない。
この俺が引き継いだ腐れ遺伝子を殺す事が出来るのは、優秀な遺伝子を持った女性だ。
俺が味わった苦しみを次世代に引き継がない為に、
俺は、しっかり良い女性と結婚して子供を作らなければならない。
それが出来ないなら、俺はこの遺伝子を、
「子供を作らない」という方法でこの世から葬ることになる。
だけど、それは間違いなく俺にとって悲劇だ。
俺は、自分の子供に会いたい。
家族を築きたい。
それを達成するためには、俺が成功する以外無い。
スペシャリストになるという以外の方法で俺が、
優秀な遺伝子を持つ女性と中出しセックスに及ぶことは、おそらく無い。
最後の賭けなんだ。
泣いても笑っても、なんて甘っちょろいことじゃなくて、
確実に、絶対に、死んでも掴み取らなきゃいけない勝利なんだ。
彼がどんな気持ちでこの世を去ったか、分からない。
見たい景色、自分の音楽で変わった世界、愛する人、お世話になった人、俺と同じように自分の子供にもいつか会いたいと思っていたかもしれない。
「俺たちさ、いつか結婚とかするのかな?」「可能性はゼロだね」
彼は幸せになりたい、ときっと思っていたと思う。
俺みたいな中年のおっさんに言われたくないだろうけれど、
どんな気持ちであの歌を歌っていたのか、
少しだけ分かるんだよ。
君は、生きていたらおそらく俺と同じ年だよな。
おじさん、がんばるよ。
幸せになる、その為にやってみるよ。
こういうのってあんまりかっこよくないけど、
元々俺たちかっこよくなんて、ないしな。