悲しいことなんて毎日探していればキリがないけど
昔読んだ国語の教科書にこんな詩が書いてあった。
「どんな大きな喜びの海であったとしても、一粒の涙も溢れていないという事は無い」
色んな解釈にも取れる詩。俺にとっては、思い出すのは、最近の出来事。
最近、俺の表現活動の仲間が結婚した。
それなりに頑張っている奴だと思っていたが、ある時期を境に、あまり精力的には見えないな、と思うような事になっていった。
俺が彼の発表を見に行った日も「やる気、あるのかな?」と思う事が何度かあった。
可愛い彼女が出来た後、彼はそんな風になっていった感じがした。
「可愛い」というのはお世辞ではなく、本当に可愛い子だ。
クラスの中にいれば、目立つぐらいの子だ。
日々の活動報告を見ても、常に彼女が隣にいる事が増えていき、次第に、彼の活動報告は彼女との生活を綴る媒体になっていった。
そして、そんな日々が3年ぐらい続いてから、彼らは結婚を発表した。
俺が嫌だったのは、彼が本当に心の底から表現活動に心血を注いでいた、というよりも、人生の余暇を使った趣味に近いスタンスで表現活動を行い、可愛い彼女を表現活動の中で捕まえて、そのまま一直線に結婚となった事だった。
最初から俺の欲しかった生活を、俺よりも少ない労力で表現活動に取り組んで、理想の可愛い彼女を捕まえた彼の事を、俺は心の底から羨んでいた。
俺が表現活動を通していつも得るのは、「自分は最低な人間だ」「人の気持ちが分からない人間だ」という思いだ。
はっきり言って、この終わらない修羅の覇道から逃れたい、降りたいと思っている矢先に、彼が俺の求めている人生のお手本のような...。
虚しいよ