poai’s blog

オナ禁の効力検証ブログ。日頃行っている表現活動(音楽関係)の呟きも載せます。

オナ禁11日目

オナ禁が11日目となった。

かなり異常なムラムラがこの数日に来て苦しかったが、夜中に酒を飲んで紛らわした。

こういう形で酒に逃げ出すと、そもそも健康や活力を生むためにオナ禁をしているのに、本末転倒じゃないかと思うのだが、オナ禁は経験上、2週間ぐらいはまだ効果があまりなく、本格的に女性から近づいてくるというラッキーが起き始めるのは2ヶ月、3ヶ月ぐらいからという体感があるので、もはやここら辺でリセットしてしまうのはバカなのだ。

とはいえ、今年に入ってから食費にも金をかけられなくなったので、栄養も足りていなかったりして体調がだるくなったりして、そこそこしんどい日々だ。

芽というのは、育てる為に何も出てこない土を暫く見つめる根気が必要だからしんどい。

 

また始まる

オナ禁に久しぶりにトライしてみる。

最後の射精は先週の金曜日だったので、現在5日目である。

数年前の8ヶ月オナ禁でセックスに繋がらなかったが、2年前に1ヶ月ぐらいのオナ禁でいちおうセックスには繋がったので、ここらでもう一度トライしてみる事にした。

ただ、年齢も36なので、流石に長期オナ禁がEDに繋がる確率が高いので、ひとまず4ヶ月を目標にしてみる事にした。

がんばろう。

ぶっ殺してやりたい

はっきり言って、俺よりも優れた表現者や、

もともと俺についていたお客さんをかっさらっていった表現者は、死ぬほど恨んでるし、ぶっ殺してやりたいと思っている。

 

こんなことを考えている人間の作るものが、誰かを感動させられる訳なんか無いよな、って心のどこかで思っているんだけど、

それでも、俺の中に溜まっている歪みの液体が、少しずつ、少しずつ、かさが増えていって、喉元までもう来ていて、

こんな形で誰かに自分の言葉を伝えたくないんだけど、

それでも俺は復讐をしてやりたいんだ。

心の底から。絶対に。

俺に届くように。

人生何度目かのドン底

人生何度目かのドン底を味わっているな、という気持ちで日々を生きている。

失恋。

表現活動の失敗。

周りから人が去っていく感じ。

今まで呼ばれていたイベントにも呼ばれなくなり、

仕事は相変わらずクソ忙しく、新人の指導を押し付けられて毎日のように21時まで働かされ。

身体は一丁前に歳を取って、疲れが取れず、土日も何か大きな成果を得られず、疲労困憊のまま月曜日に押し出されていく。

クソ以下の日々だ。

革靴の中で苛立つ踵を踏み鳴らして、月ばかりがクソみたいに綺麗に光っていて。

あの時、掴みたかった温もりは何にも俺にくれなかった癖に、掴ませてくれなかった癖に、

何も俺の事など分かった訳でも無いのに、俺をそこから見下ろすのかよ。

涙が流れて、アスファルトが俺の存在なんて無かったかのように、あっという間に俺の事なんて消していく。


そんな最中、友人達と合わせた言葉にならない言葉の塊は、俺が俺の形を必死に掴もうと必死でいるような感じがする。


誓い。闘い。俺の形は俺にしか決められない。

生まれてこなければ良かった。

そんな事は今更だよ。

だったら死ねば?

死ねるかよ。


死ねって言われたって死ねない。


俺は俺を終わらせる為に生きる。

これは、床に汗と涙をしこたま敷き詰めた俺と俺を知る君の音だ。

これからの事

表現活動の舞台が昨日あり、

色々と自分の致命的な欠陥が非常に多く見えてしまった日でした。


僕には一緒に表現活動で苦楽を共にした仲間がいますが、

僕が売れない事で、僕の人生が壊れていくのは致し方ない事なのですが、

彼が僕の巻き添えで同じように人生を壊していくのは、どうしても我慢が出来ない事でした。


もうすぐ、人生の大きな決断をしなければならない、と思います。

おそらく、僕の手に何も残らなかったとしても、僕は自分の人生に何も誇りが無く閉じる事はあったとしても、大切な友人を道連れに不幸にする事だけは、ダメなんだろう、という気持ちです。


少しでも、僕に色んな事の分別が着くうちに、彼を自由にしなければならないと思います。


楽しかった、って言えるぐらいのタイミングをもうとうに過ぎてしまったのですが、

それでも、僕はやってみます。

同業者の可愛い女子とのセックスを夢見て

俺は表現活動を始めてから12年ぐらいが経ったけれど、その間に彼女は一度も出来た事が無い。1人だけ、体を許してくれた女性はいるけれど、結婚目前の彼氏は普通にいたので、結局そういう関係としてしか成り立たなかった。

周りの同業者がどんどん売れていくのは、まだ耐えられるけれど、周りの同業者が表現活動を通じてどんどん可愛い彼女を作っていくのは本当に耐えられない。それも、活動を初めて4、5年ぐらいで可愛い同業者の彼女をゲットしていくのを見るのは、心の底から死にたくなる。

俺は14年間の中で、同じように自分と表現活動をしていた女性を好きになり、「きっといつか付き合えるはず」という思いで8年ぐらい追いかけた末に、実らなかった。

もうそこから先は、誰でも良い、というような思いで色んな女の子にアタックをしたけれど、全部玉砕した。

4、5年で可愛い彼女が作れるんだったら、そんなにコスパの良い趣味は無いよな、表現活動ってのは。そんな思いが湧いた。よほど、街でナンパなんかするよりもアリだと思う。

もしも俺が死ぬまで売れなかったとしても、それは必ず売れる世界じゃ無いから、というのでまだ諦めは付くけれど、結局死ぬまで彼女が出来ず、おっぱいを見るためにはエロサイトを見るしか無い、という風に人生が終わったら、何の為に生まれてきたんだろうな、という気持ちになる。

元々の人間的なスペックを考えれば、まぐれで1人の女性を抱けただけ、満足しろよ、なのかもしれないし、表現活動をしなければ、もっと地獄だったのかもしれないけれど。

でも、自分よりも楽勝に俺の欲しかった生活を手に入れている同業者の男を見ていると、シンプルに死にたくなる。

俺も可愛い同業者女子を抱きたいよ。彼女にしたいし、結婚したい。


お腹が痛くても

ゴールデンカムイという漫画を読んでいると、「俺にもひたすら俺の事を好いてくれる13才の女の子がいたら死ねるな」という思いに駆られる。

34才という自分の年齢を考えたら、13才の女の子が自分に好意を寄せてくれたところで何なのか、というのはあるけれど、最近、生きる意味が無さすぎて、漫画の世界で生きる少女に恋をしてしまいそうなレベルだった。


現在、周りの男たちは、どんどん可愛い彼女を作り、どんどん結婚をして、どんどん子供も作り、という風に、もう俺の人生に「終わった」という言葉がチラチラし始めているような気がする。

粉雪が降ってきて、それが、全部俺の今までの人生を閉じ込めた結晶みたいな風に、降りそそいで来ているような気がする。

悔しいけど、人生はここまでなんじゃないだろうか、という気がしてしまって、心底お腹まで痛くなる。頭も重い。


それなのに、俺が生きることに執着するのは何故なんだろう。

全然駄目なのに。俺は全然駄目なやつで、もう一生彼女も出来そうな感じがないのに、それでも諦めないのは、何故なんだろう。

アシリパさんみたいな少女が現れてくれる事も、生きていれば確率として0.1%はあるからかな。

それをあてに生きているなら傑作。

でも、元々何においてもそういう人生だった。

100万分の1だとしても賭けられるものがある人生を送りたい。